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世間ゴク一般的な聖人和讃

★世間には、【おつとめ】とかでの和讃は、イロイロと違うのが称えられてますが、 どのようなのを称えようが、             【 何も違いは、ありません。】そこで!  ひろく広まっているのを、のせておきますので、活用して下さい。                            要は、                                                    【信心】だけが重要になりますヨ!。

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・っという事で、誰にが称えれる【ふりがな正信偈】入れます。

浄土真宗の者たちは、
毎日の【おつとめ】として、【正信偈】を、朝と晩に称
えてる方が多いようですが、
これとしては、ベツに【お決まり】では、ないです。
・毎日しているからと、いって、生活とかが栄えると、
いったものでは、ありません。

   < 今の世間に、よくある(おまじない,占いとかの呪文,・・・・・・・)とか>では、ありません。
 ・     だから!
いつも生かされている【感謝】の気持ちで称えて下さい。

【阿弥陀さま】にでもあり【親鸞さま】でもあり・・・・・・・・・・・・・・




・きー みょう むりょう じゅー にょらいー 
      
なー もー ふー かー しー ぎー こーう 
 
ほうぞう ぼーさつ いん にーじー 
 
ざいせー じーざい おうぶーツ しょー
 
とーけん しょーぶつ じょうどー いーん
 
こくどー にんでん しー ぜん まーく
 
こんりゅう むーじょう しゅー しょう がん
 
ちょうほつ けー う だーい ぐ ぜーい
 
ごーこう しー ゆい しーしょう じゅー
 
じゅう せい みょう しょう もん じーッぽーう
 
ふー ほう むー りょう むー へん こーう
 
むー げー むー たい こう えん のーう
 
しょう じょう かん ぎー ちー えー こーう
 
ふー だん なん じー むー しょう こーう
 
ちょう にち がーッこう しょう じん せーつ
 
いーッ さい ぐん じょう むー こう しょーう
 
ほんがん みょう ごう しょう じょう ごーう
 
しー しん しん ぎょう がん にー いーん
 
じょう とう かく しょう だい ねー はーん
 
ひーッ しー めつ どー がん じょう じゅー
 
にょーらい しょー い こう しゅーッせー
 
ゆい せつ みーだー ほんがん かーい
 
おうしんにょーらいにょーじつごーん
 
のう ほつ いちねん きー あい しーん
 
ふーだん ぼん のう とく ねー はーん
 
ぼん じょう ぎゃく ほう さい えー にゅう
 
にょーしゅーしい にゅう かい いちみー
 
せーッ しゅー しんこう じょう しょう ごー
 
いーのう すい はー むー みょう あーん
 
とんあい しんぞう しー うん むー
 
じょうふ しんじーつ しんじん てーん
 
ひーにょーにーッこう ふー うん むー
 
うんむーしーげーみょう む あーん
 
ぎゃくしん けんきょう だい きょう きー
 
そくおう ちょうぜつ ご あくしゅー
 
いーッさい ぜんまく ぼんぶーにーん
 
もんしん にょーらい ぐー ぜいがーん
 
ぶつごん こう だい しょう げーしゃー
 
ぜーにん みょうふん だー りー け
 
みーだーぶつほん がん ねん ぶーつ
 
じゃーけん きょう まん なくしゅーじょーう
 
しんぎょう じゅーじーじんにーなーん
 
なんちゅう しーなん むーかーしー
 
いんどーさいてん しーろんげー
 
ちゅう かー じ ちい き しー こう そーう
 
けんだい しょうこう せーしょう いー
 
みょうにょー らいほん ぜい おう きー
 
しゃーかーにょーらい りょうがー せーん
 
いーしゅーう ごーう みょう なんてんじーく
 
りゅうじゅー だーい しゅーッ とー せー
 
しつのう ざいはー うーむーけーん
 
せんぜつ だいじょう むーじょう ほーう
 
しょうかん きーぢーしょう あん らーく
 
けんじー なんぎょう ろく ろー くー
 
しんぎょう いーぎょう しいどうらーく
 
おくねん みーだー ぶつほん がーん
 
じー ねーん そー く じー にゅう ひつじょーう
 
ゆいのう じょう しょう にょーらい ごーう
 
おうほう だーい ひ ぐーぜい おーん
 
てんじん ぼーさつ ぞう ろん せーつ
 
きーみょう むーげーこうにょーらーい
 
えーしゅう たーらー けんしんじーつ
 
こうせん おう ちょう だい せいがーん
 
こーうゆ ほんがん りき えーこーう
 
いーどーぐんじょう しょう いーッしーん
 
きーにゅう くーとく だい ほうかーい
 
ひつぎゃく にゅうだい えー しゅう しゅー
 
とくしー れんげー ぞう せーかーい
 
そくしょう しんにょ ほーッしょう じーん
 
ゆうぼん のう りん げん じんづう
 
にゅうしょう じーおん じーおーげー
 
ほんしーどんらん りょう てんしー
 
じょうこう らんしょー ぼーさつ らーい
 
さんぞう るーしーじゅーじょうきょーう
 
ぼんしょう せんぎょう きーらくほーう
 
てんじん ぼーさーつ ろんちゅう げー
 
ほうどー いんかー けんせい がーん
 
おうげん ねーこう ゆーたーりーき
 
しょうじょう しーいん ゆい しん じーん
 
わくせん ぼんぶー しん じん  ぽーつ
 
しょうち しょうじ そく ねーはーん
 
ひーッ しー むーりょう こう みょう どー
 
しょう う しゅー じょう かい ふーけー
 
どうしゃく けーッ しょう どう なん しょーう
 
ゆいみょ じょうどー かー つう にゅう
 
まんぜん じー りき へん ごん しゅー
 
えんまん とく ごう かん せん しょーう
 
さんぷ さん しん け おんぎん
 
ぞうまつ ほうめつ どう ひ いん
 
いーッしょう ぞうあく ち ぐぜい
 
しあん にょう がい しょうみょうかー
 
 ・ ぜんどう どくみょう ぶーッ しょ う い
 
ごんあい じょうさん よぎゃくあく
 
こうみょう みょうごう けん いん ねん
 
かい にゅう ほんがん だい ちかい
 
ぎょうじゃ しょうじゅ こんごうしん
 
きょう き いちねん そう おう ご
 
よ い だい とう ぎゃく さんにん
 
そくしょう ほッしょう し じょうらく
 
げんしん こうかい いち だいきょう
 
へんきーあんにょう かん いッさい
 
せんぞう しゅうしん はん せんじん
 
ほうけ にど しょうべん りゅう
 
ごくじゅう あく にん ゆい しょうぶつ
 
が やく ざい ひ せッ しゅ ちゅう
 
ぼんのう しょうげん すい ふ けん
 
だいひ むけん じょうしょうが
 
ほんし げんくう みょう ぶッきょう
 
れんみん ぜんまく ぼんぶ にん
 
しんしゅう きょう しょう こう へん しゅう
 
せんじゃく ほんがん ぐ あくせ
 
げんらい しょうじ りん てん げ
 
けッ ち ぎじょう い しょ し
 
そくにゅう じゃく じょう む い らく
 
ひツち しんじん い のう にゅう
 
ぐきょう だいじ しゅう しとう
 
じょうさい むへん ごく じょく あく
 
どうぞく じしゅ ぐ どう しん
 
ゆいかしんし・こうそう・せ・つ



       それと<PS>

これは、お釈迦さまの【仏教】【お経】と思われてる事が多いのですが
      【 違います。】   
ベツに、そう思われていても、良いのですが  誰も怒りませんので
  タダしかし
【親鸞さまの書いた気持ちを考えてると、私は・・・・・・・・・・・・
  それと
これは、【親鸞さま】が、書いた時代に【正信偈】として出来たものでなく
後の時代になって出来たのであって、
【親鸞さまの】書いた【教行信証の】二巻の行巻の末に書いている
   【うた】です。





                       
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★ふりがなの【正信偈】も、のせておきます。

                                   ふりがな正信偈   っていうか【意味】です。
★何が言いたいのか?わからないという人が多いので、カンタンにのせておきます。
●●はてしなく如来に、命を帰命する。
不可思議な光に南無したてまつる。
法蔵菩薩との名で修行の時
世自在王仏のみもとにて
仏の浄土な国すべてを見
人間と天人の善と悪を見きわめて
すばらしい願を建てられた
そしてすべての前で誓いをおこされました
五劫もの長い間、考えぬかれました
重ねて誓う名号が十方に聞こえますように
皆すべてに、いいました無量無辺の光
さまたげる事のなき光、光炎王なる光
清らかで喜ばし智慧のはたらきをする光
思いや言葉では、たたえつくせない光
太陽や月を超える光は、ちりまで照らす
一切すべての光を照らし蒙る
本願の名号は正しい、おこないであり
心の底から信じるものこそ正因です。
かならず仏に成る事が決まり
必ず願いが成就され、さとりに至る
如来が世に出られたのは
ただ阿弥陀の本願を説くためだった。
五つの濁りの悪世界の人々よ
如来の真実の言葉を信ずべし
一たびの信心で喜びのとき
煩悩を持ったまま涅槃に入る事ができる
凡夫も聖人も謗法のものも入るのは
水が海の一味と同じである
常にまもっておさめとってくれてます
すでに、無明のやみを、はすと言えども
貪欲,愛欲,瞋恚,憎しみ,の心は雲や霧に
常に真実の上におおい、かぶさっている
たとえば、日光が雲や霧に覆われていても
雲や霧の下では、闇は、無いのであります
信を得て大いに喜び、うやまう人なら
ただちに、横しまの五悪趣をこえる
善人も悪人も一切のすべての人
如来の誓願を信ずれば
仏は、こうだいな者と言いたたえます
この人を、泥沼のはすの華と名ずく
弥陀仏の本願による念仏の法は
あやまっている考えの者、悪衆生は、
ただ信じるだけでは、難しいのである
難の中の難で、これ以上過ぎるのは難しい
西の方のインドのろんげ がた
中国と日本の、こう僧の方々は
釈迦がこの世に出られた正意をあらわした
如来の本誓は、我らを明かす事であると
釈迦は、楞伽山で予言なさっている
多くの衆のため、告げられた南天竺に
龍樹菩薩というかたが世に出られて
うむ の けん をことごとく、うちやぶり
大乗のこの上も無い教えを説きのべ
歓喜地を証し安楽浄土に生まれるだろうと
難行の道は苦しい道であるけれども
易行の道の楽しい事をすすめられた
弥陀仏の本願をおもいつづけるならば
おのずから、ただちに、決じょうする
だから常に如来の号を称えて
大いなる慈悲のご恩にむくいると
天親菩薩は論を造りて説いている
無碍光如来に帰命したてまつると
経典の修多羅によって真実をあらわして
おうちょうのすぐれた誓願を説いた
この本願力の回向によって
すべての者が救われると一心にあらわした
このくどくの大いなる宝の海に入れば
必ずここの数に入ることができると
ここの蓮華蔵世界に、いたりうれば
ただちに真理を身につけた者になる
煩悩の迷いの林で神通力を現し
迷いの世界に入っても救われると示した
曇鸞大師、りょうの国王にも尊敬されてた
常に大師のいる処に菩薩と礼拝されてた
インドの僧、三蔵に浄土の経典を授けられ
仙人の経を焼き捨て浄土の教えに帰入した
天親菩薩の論を註解しみずから論を書いた
報土の因も果も誓願なりとあらわしたまう
往相も環相も他力の回向に、よるとした
仏に生まれる正因は、ただ信心のみである
まどいそまった凡夫も信心さえあれば
生死の迷いのままで、そく涅槃と証知する
必ず無量光明な浄土に至れば
すべての人々みなを救うといわれた
道綽は聖道門では、あかしがたき事を決し
ただ浄土門を通入すべき事を明かす
いくら自力を修する事を、しりぞけられた
名号を、もっぱら称える事をすすめられた
三つの信心と信心でないものを示した
像末法の形で滅びとか悲願は同じである
一生がい悪を造りつづけても、ぐ誓に値で
安養界に行き仏の悟りを開くといわれた
・善導ひとり仏の正意をあきらかにされた
善も悪も共に哀れにみて
光明と名号が縁となり因とあらわした
本願の大いなる智慧の海に入れば
金剛のような正しい心を受けた行者は
このうえない喜びに相応する
いだいけ夫人とと等しく三忍の徳を得て
そく法性の常楽を悟りをひらくと言われた
我が国の源信は釈迦一代教を広く開ろめた
ひとえに安養にきして、すべての者が勧む
もっぱら深い心と浅い心があるとした
報土と化土の二つに示された
極重の悪人でも、ただ仏を称えなさいと
我もまた、おさめ取られて、あれども
煩悩に眼がさえぎられようとも
如来の大悲は常に我を照らしてくれてる
本師源空は仏教を明らかにしてくれました
善人も悪人も、すべての凡夫を哀れみて
真宗の教えを、この国に興し
選択本願を悪世のこの世に、ひろめられた
生死の迷いから、ぬけれず、いるのは、
本願を疑いはかっているからである
すみやかに、静けさ浄土に入るには、
必ず信心をもつことであると述べられた
弘経の大士、祖師がたは、
すべての極獨の悪人を救ってくださる
出家の人も在家の人もすべて共の同じく
ただこの高僧がたの教えを信じるべし●


★ っという事で、一般的なので 

       いちよう! = 親鸞聖人 ご和讃 現訳クラブ

プロフィール

HN:
光明
年齢:
49
性別:
非公開
誕生日:
1969/02/20

聖人 和讃 ブックス



●人身受け難し、今已に受く
仏法聞き難し、今已に聞く
この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってか、
この身を度せん。

【正信偈 絵物語 光になった王子さま・・・】


正信偈62講―現代人のための親鸞入門

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